自分の思考の思い出作りに、いい加減で書いています。アナタの何かになれば幸いです(^^
家中なんでもパナソニック [ブログ上の空論]
経営再建中の「パナソニック」。
新年早々、相変わらずイメージ先行で、なんだかいまいち何がしたいんだか伝わらないテレビCMが始まりました。
そこで、ブログ上の空論ではお馴染の、余計なお世話シリーズとして、私が考えるパナソニックのCM案を、バッカみたいにつらつら書いてみます。
キャッチフレーズはこの記事のタイトル通り。
とにかく、パナソニックの強みは、頑張れば本当に家中なんでもナショ、じゃなかった、パナソニックにできるというところ。
それを、ドドーンとアピールします。
さらにパナソニックと言えば、絶対的な信頼感あります。
とにかく壊れなく、誰でも安心して使えるというイメージです。
ま、運悪く初期不良を起こしてしまったり、最近のレコーダーの迷走ぶりには目を瞑り、このイメージを利用します。
そして、この二つを結びつけて、パナソニックならではのCM展開をしていきます。
では、駄文スタートです。
安心、信頼、と言えばターゲットは「家族」です。
CMには一つの家族を中心に展開します。
お父さんが犬というダイヤモンドユカイな家族ではなく、ごく普通の家族です。
家族構成は、
お父さん、お母さん
小学生高学年の男の子
小学校低学年の女の子
おじいちゃん、おばあちゃん
です。
1:家族の営みにパナソニック編
まずは、普通の家族の営み、例えばみんなが出かける朝の風景、とか、おやすみ前の風景とか、ごく普通の家族の営みのシーンを何パターンかのテーマに分けて、家族全員が出演する形でCMを作ります。
リビングやキッチン、お風呂場、トイレなどなど、全てのシーンでパナソニック製品を使っているところを表現し、家族みんながパナソニックの家電を使っている、というのを印象付けます。
2:拘りのパナソニック製品編
次に、家族の一人一人が、友人や同僚などに、このパナソニック製品がイイんだよ、とオススメしているものや、欲しいなぁと思っているようなCMを作ります。
私が考えた具体的なCMの内容は次の通りです。
おじいちゃん
公園などでのお散歩友達に「家のテレビはキレイなんだよ。ビエラっていうんだけどね~」
と自慢していて、お友達も「ほうほう」とうなずいている内容。
おばあちゃん
お茶友達の家に行って「食洗器を買ったのよ、昔は洗い物大変だったじゃない、それがあっという間よ、おかげで嫁ともうまくいってますは、オホホホホ」といった内容。
お父さん
同僚に「こないださぁ、子供たちの運動会、カメラマンやらされて大変だったよ。ホラ、俺のとこ二人撮らなきゃならないだろ、もう休む暇もなくて。でも家にあるムービーはいいんだよ、軽くて、しかも手ブレもしないからバンバン撮れたよ」的な内容。
お母さん
電話でお友達にクッキーの作り方を教わりながらオーブンレンジを操作し「えっ、このスイッチを押せばいいの? なに、簡単じゃないのよ、もっと早く作ればよかった、ありがとう」という内容。
男の子
学校で友達に「こないだのテレビ見た? えっ見てないの? だったら家で録画したから見に来なよ、何ならダビングもしてあげるよ」というレコーダーの内容。
女の子
隣の家に住むキレイなお姉さん。たまたま遊びに行ったらナノイーで美顔中。女の子は自分も美顔してキレイになっているのを妄想・・・といった内容。
さて、
上記二本のCMプランのメインテーマは、
『ごく普通の生活のすぐそばに、ごく自然にパナソニックがいますよ』
というものです。
昭和の時代、家電製品は豊かさの象徴でした。
一生懸命働けば、あの家電が買えて、ちょっと生活が良くなる。
そんな夢と希望と現実を結びつけていたのが家電でした。
現在はそうではありません。
家電はどの家庭にも、どんな世帯にも必ずあり、当たり前な存在になってしまっています。
でも、本当は、家電が無かった大変なことになります。
夏場に冷蔵庫が故障して、大変な思いをした人も多い事でしょう。
当たり前な存在だから普段は気にならないけど、実は無くなったら普通の生活を営むことができなくなるほど大切な存在です。
別の言い方をすれば、
「あなたが普通に生活できているのは家電のおかげですよ」
となり、このCMプランでは、普通の家族の生活を通して
「あなたが普通に生活するために、パナソニックがお手伝いしています」
と、表現しようとしています。
ここ何年かの家電のCMは、性能や機能のアピールか、イメージCMが殆どでした。
その家電が、生活の場で、どんな働きをするのかが、殆ど語られていません。
さらに、その家電がある暮らしはどんなものなのかを表現しているものも少なかったと思います。
昭和の時代は、家電が、夢と希望と現実を結びつけていた、と先に書きました。
その頃の家電は、生活の延長線上にあったと思います。
それは現在も変わっていません。
ちゃんと家電は生活の延長線の上にあります。
ですから、大切なのは製品の性能でも機能でも、ましてやイメージでもなく、
「その家電がある暮らしはどのようなものなのか」
の訴求だと思うのです。
昭和の時代なら、夢と希望の生活が現実になる。
現代なら、普通の生活を支えている。
家電製品とは、そのような立場にいるのではないでしょうか。
パナソニックは、たぶんこれがとても伝えやすいメーカーだと思われます。
なぜなら、昭和の時代を支えたこの企業の先人が作った、安心と信頼というイメージがまだ残っているからです。
松下電器産業という社名を捨てるという、もったいないことをやってしまい、だんだんとその頃のイメージは失われつつあります。
そんな中、2014年の年初に始まったテレビCMは、またしてもこのイメージからかけ離れたものです。
こんなCMをやっていては、以前のような輝きを取り戻すことは難しいと思います。
遠回りして、別のこじゃれたメーカーとして再建するというのなら「wonders」でもいいと思います。
でも、以前のような国民的な家電メーカーとして再建するのであれば、原点回帰こそが近道だと私は考えます。
はい、相変わらずも一人よがりの纏まりのない駄長文でした。
ここまで読んだ方、ゴメンナサイ。
以上です
新年早々、相変わらずイメージ先行で、なんだかいまいち何がしたいんだか伝わらないテレビCMが始まりました。
そこで、ブログ上の空論ではお馴染の、余計なお世話シリーズとして、私が考えるパナソニックのCM案を、バッカみたいにつらつら書いてみます。
キャッチフレーズはこの記事のタイトル通り。
とにかく、パナソニックの強みは、頑張れば本当に家中なんでもナショ、じゃなかった、パナソニックにできるというところ。
それを、ドドーンとアピールします。
さらにパナソニックと言えば、絶対的な信頼感あります。
とにかく壊れなく、誰でも安心して使えるというイメージです。
ま、運悪く初期不良を起こしてしまったり、最近のレコーダーの迷走ぶりには目を瞑り、このイメージを利用します。
そして、この二つを結びつけて、パナソニックならではのCM展開をしていきます。
では、駄文スタートです。
安心、信頼、と言えばターゲットは「家族」です。
CMには一つの家族を中心に展開します。
お父さんが犬というダイヤモンドユカイな家族ではなく、ごく普通の家族です。
家族構成は、
お父さん、お母さん
小学生高学年の男の子
小学校低学年の女の子
おじいちゃん、おばあちゃん
です。
1:家族の営みにパナソニック編
まずは、普通の家族の営み、例えばみんなが出かける朝の風景、とか、おやすみ前の風景とか、ごく普通の家族の営みのシーンを何パターンかのテーマに分けて、家族全員が出演する形でCMを作ります。
リビングやキッチン、お風呂場、トイレなどなど、全てのシーンでパナソニック製品を使っているところを表現し、家族みんながパナソニックの家電を使っている、というのを印象付けます。
2:拘りのパナソニック製品編
次に、家族の一人一人が、友人や同僚などに、このパナソニック製品がイイんだよ、とオススメしているものや、欲しいなぁと思っているようなCMを作ります。
私が考えた具体的なCMの内容は次の通りです。
おじいちゃん
公園などでのお散歩友達に「家のテレビはキレイなんだよ。ビエラっていうんだけどね~」
と自慢していて、お友達も「ほうほう」とうなずいている内容。
おばあちゃん
お茶友達の家に行って「食洗器を買ったのよ、昔は洗い物大変だったじゃない、それがあっという間よ、おかげで嫁ともうまくいってますは、オホホホホ」といった内容。
お父さん
同僚に「こないださぁ、子供たちの運動会、カメラマンやらされて大変だったよ。ホラ、俺のとこ二人撮らなきゃならないだろ、もう休む暇もなくて。でも家にあるムービーはいいんだよ、軽くて、しかも手ブレもしないからバンバン撮れたよ」的な内容。
お母さん
電話でお友達にクッキーの作り方を教わりながらオーブンレンジを操作し「えっ、このスイッチを押せばいいの? なに、簡単じゃないのよ、もっと早く作ればよかった、ありがとう」という内容。
男の子
学校で友達に「こないだのテレビ見た? えっ見てないの? だったら家で録画したから見に来なよ、何ならダビングもしてあげるよ」というレコーダーの内容。
女の子
隣の家に住むキレイなお姉さん。たまたま遊びに行ったらナノイーで美顔中。女の子は自分も美顔してキレイになっているのを妄想・・・といった内容。
さて、
上記二本のCMプランのメインテーマは、
『ごく普通の生活のすぐそばに、ごく自然にパナソニックがいますよ』
というものです。
昭和の時代、家電製品は豊かさの象徴でした。
一生懸命働けば、あの家電が買えて、ちょっと生活が良くなる。
そんな夢と希望と現実を結びつけていたのが家電でした。
現在はそうではありません。
家電はどの家庭にも、どんな世帯にも必ずあり、当たり前な存在になってしまっています。
でも、本当は、家電が無かった大変なことになります。
夏場に冷蔵庫が故障して、大変な思いをした人も多い事でしょう。
当たり前な存在だから普段は気にならないけど、実は無くなったら普通の生活を営むことができなくなるほど大切な存在です。
別の言い方をすれば、
「あなたが普通に生活できているのは家電のおかげですよ」
となり、このCMプランでは、普通の家族の生活を通して
「あなたが普通に生活するために、パナソニックがお手伝いしています」
と、表現しようとしています。
ここ何年かの家電のCMは、性能や機能のアピールか、イメージCMが殆どでした。
その家電が、生活の場で、どんな働きをするのかが、殆ど語られていません。
さらに、その家電がある暮らしはどんなものなのかを表現しているものも少なかったと思います。
昭和の時代は、家電が、夢と希望と現実を結びつけていた、と先に書きました。
その頃の家電は、生活の延長線上にあったと思います。
それは現在も変わっていません。
ちゃんと家電は生活の延長線の上にあります。
ですから、大切なのは製品の性能でも機能でも、ましてやイメージでもなく、
「その家電がある暮らしはどのようなものなのか」
の訴求だと思うのです。
昭和の時代なら、夢と希望の生活が現実になる。
現代なら、普通の生活を支えている。
家電製品とは、そのような立場にいるのではないでしょうか。
パナソニックは、たぶんこれがとても伝えやすいメーカーだと思われます。
なぜなら、昭和の時代を支えたこの企業の先人が作った、安心と信頼というイメージがまだ残っているからです。
松下電器産業という社名を捨てるという、もったいないことをやってしまい、だんだんとその頃のイメージは失われつつあります。
そんな中、2014年の年初に始まったテレビCMは、またしてもこのイメージからかけ離れたものです。
こんなCMをやっていては、以前のような輝きを取り戻すことは難しいと思います。
遠回りして、別のこじゃれたメーカーとして再建するというのなら「wonders」でもいいと思います。
でも、以前のような国民的な家電メーカーとして再建するのであれば、原点回帰こそが近道だと私は考えます。
はい、相変わらずも一人よがりの纏まりのない駄長文でした。
ここまで読んだ方、ゴメンナサイ。
以上です
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