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この事故は無責任な全大人の責任 [疑問なんだよね]

<自転車>女子高生が下り坂で衝突、歩行者が死亡 京都(毎日新聞) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140918-00000014-mai-soci

また、痛ましい事故が起きてしまいました。
被害者も加害者も、そのどちらの関係者も、居た堪れない思いでいっぱいでしょう。

さて、

この記事のコメントで、保険がどうのこうのという意見が多くありますが、
私に言わせれば、『どうかしてるゼ(by ブラック吉田)』、です。

確かにそれは重要なことですが、もっと重要なことがあります。
自転車に対するルールを「ちゃんとしてない」という問題です。

交通ルールをちゃんと作り、ちゃんと運用する。
それは「大人の役目」です。

今回の加害者は高校生です。言い換えれば、

「大人がちゃんとしないから、子供が大きな傷を背負ってしまった」

ということです。

気づいていますか?

この高校生は、人を殺してしまったのです。
大人が利便性を重要視して自転車の交通ルールを曖昧に作り曖昧に運用するものだから、
そのせいで、この高校生は人を殺してしまったのです。

分りますか? 
無責任な大人たちのせいで人を殺してしまったこの高校生は、
これから長く続く人生で、大きなものを背負うことになってしまったのです。

高校生が人を殺してしまった理由は、
大人がちゃんと自転車に関してルール作りをしなかったからです。
ルールを作っても、曖昧にしか運用しなかったからです。

保険がどうのこうの言う前に、大人ならそのことを強く恥じるべきです。

自転車だけではありません。
昨日のバラエティ番組でも取り上げられていましたが、
未成年者がインターネットを利用して犯罪まがいなことをやっています。

これも大人が利便性ばかりを追求して、ゆるいルールばかりを作り、
ゆるく運用しているから、彼ら彼女らは、犯罪に手を染めてしまうのです。
バラエティ番組のネタにして笑ってる場合ではありません。

児童福祉とか青少年育成などというと、児童ポルノばかりが議論になりますが、
本当に児童福祉や青少年の健全な育成を考えるなら、

彼ら彼女らに対して、
ちゃんとルールを作り、
作られたルールをちゃんと運用する

ことの方が重要なのではないでしょうか。

自転車で人を殺させない、インターネットで犯罪者にしない。

別に、大人が自転車で人を殺そうが、インターネットで犯罪者になろうが、
それはそれで、ちゃんと罪を償ってもらえばいいでしょう。

しかし、それを子供にまで責任を持たすのは大人の世界のズルイ言い訳です。
少なくても、そうしたものから子供たちを守るのは大人の使命です。

自転車やインターネットを厳しく規制すると、業界関係者はおろか、
子供たちからも反感をかうでしょう。
でも、子供たちののことを本気で思うのなら、心を鬼にして従わせるべきです。

タバコやお酒、性風俗や勝ち馬投票券購入など、
未成年者を規制する法律は多くあります。
規制の対象がそれだけでいいのか、見直しは急務だと思います。

物わかりのいい振りをした大人が醜く愛想笑いを浮かべて子供に媚をうる社会。
そんな社会を、子供たちは訝しげに見つめながらも、
結局、重い物を背負わされる羽目になってしまっています。

自転車で人を殺してしまった高校生しかり、
インターネットで気軽に犯罪に手を染める未成年者しかり、

まずは大人が責任を持って、ちゃんとルールを作り毅然と従わせるべきです。
それが結果的に、子供たちを守るこのに繋がると私は思います。


以上です。

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尾木ママの怒りに"愛"の手 [疑問なんだよね]

尾木ママ「高野連に見解求める」 延長50回に怒り
(デイリースポーツ)- Y!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140831-00000101-dal-ent


ちょっと、古い記事なんですけど、私もスゴイ違和感を感じるので、
書いてみます。

この問題、所謂「体育会系」の人と「それ系が好きな人」の意見と、
尾木ママのように、違う分野から意見を言う「はたから見てる系」の人では、
結構な意見の違いがあります。

総じて、体育会系の方々は「何が問題か分からない」とか「感動した」
「ルールだから仕方無い」と言った肯定論が多い印象です。

「はたから見てる系」の方は、尾木ママのように「残酷ショー」
とまで言い放ってしまうほど、怒りを覚えている人が多いようです。

この問題は、「スポーツと捉えるか」「教育と捉えるか」で見方が変わります。
上記の体育会系とはたから見てる系の意見の相違がまさにこれです。

この2つの捉え方、別の視点としても捉えることができます。

「自己責任」か「監督責任」か、です。


勝手にスポーツをやってケガをするのは、きっと自己責任でしょう。
では、学校の体育の時間でスポーツをやってケガをするのはどうでしょう?
やっぱり自己責任でしょうか?
教師の監督責任も大きいような気がします。

体育ではなく、部活動ならどうでしょう?
部活動は何をやるかは自由に選べますから、そこでケガすることは、
体育の時間よりも自己責任のような気もします。

でも、部活動とは言え、教育の現場である学校の管轄下で行われています。

さらに部活動を管理しているのは大人で、
スポーツをしているのは学生であり未成年者です。

そのような状況でケガした学生に、自己責任を追及できるのでしょうか?

今回の場合は、さらに「大会のルールに縛られる」と言うものがあります。
大会は、まさに大人の都合だけで作られたルールに基づいて行われます。
イヤなら参加すらできません。
つまり、否応なしに従わなければいけない状況です。
そんな強制力のある状態で自己責任はどこまで追及できるのでしょう。
無茶な大会運営を強いた方の監督責任はないのでしょうか?


あの状況で、頑張った彼らはスゴイ人だと思います。
それは尊敬に値するし感動的です。
身体的後遺症は遺るかもしれませんが、それを超える、
価値あるものを身に付けることができた、と信じたいです。

でも、それはそれです。

あのような状況に彼らを追い込んだのは、間違いなく大人ですし、
限りなく大人のエゴが絡んでいます。

しかも、そのエゴ丸出しの大人たちは、教育者として絶大な信用と権力を
持っている者です。

巻き込まれているのは、教育途上の未成年者です。

この状況を見た時、大人として「感動した」「良くやった」
だけで済ませてしまっては、とても問題があると私は思います。


それにしても、尾木ママ、って、柔らかいイメージがありますが、
怒ると結構、怖いですよね。

あ、そう言えば、オネェ系は怒ると怖いんでしたね。

以上です[わーい(嬉しい顔)]
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根っこで繋がってる? [疑問なんだよね]

STAP示す現象検出せず=別方法で検証へ―「小保方氏準備できた」
・理研中間報告(時事通信) - Y!ニュース
[次項有] http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140827-00000078-jij-sctch


なんか、同じテーマでブログを書いている気がします。
何なんでしょう、この違和感は。

このSTAP問題、って、本当に問題なのでしょうか?
そもそも、この話題が「国民的」なニュースとして成り立っていることに
不気味さを感じます。

だって、研究ですよ。
化学? 科学? の論文の話ですよ。

アナタは理解できますか?
そもそも、科学的な論文って、作ったことありますか? 
それ以前に、読んだこと、イヤ、触れたことはありますか?

大半の日本人にとっては、普段、全く気にも留めないような業界での出来事のはずです。
それなのに、大半の日本人が、STAP問題を知っていて、
マスコミもトップニュースで扱っています。

そこで糾弾されるのが、若い科学者です。
そして、疑われるのが夢のような研究です。

この若い科学者は、1人で研究していたわけでもなく、論文も共著です。
その論文は、公の研究機関で認められ、さらにはその業界で由緒正しい雑誌が、
ちゃんと調べて、不備は見つからないとして掲載しています。
それなのに、写真が違った、という指摘から、雪崩のように崩れていき、
あたかも1人の科学者が「若さゆえの過ち」を犯したかのように非難されています。

その辺のことは、テレビでもお馴染の武田先生がブログなどで詳しく書いています。
http://takedanet.com/


私が疑問なのは、なぜこのことが、こんなに国民的なニュースになり、
自殺者まで出し、そして、研究を止める、などと言う事態にまでなったのか、
というところです。

科学の世界に、国民の大半が携わっていないハズですし、
増税や年金のように生活に直結するものでもありません。
大きな災害でもなければ、国民的なスターが絡んでいる訳でもありません。

それなのに、皆して話題にし、好き勝手なことを言ってワーワー騒いでいます。

本来、研究というものは、静かな部屋にこもって、
1日1mmくらい進めばいい実験を繰り返しながら、42.195km先のゴールを
目指すようなものなのではないでしょうか?

しかも、本当にゴールがあるのかも分からず、コースが合っているかも分からず、
それでも、科学者たちは必ずゴールがあると信じて実験を繰り返していく。
途中で、いろいろな挫折や障害、あるいはちょっとした成功などを経験しながら、
実験を繰り返して、ゆっくりと近づいて、やっとこさゴールに辿り着く
そんなものなのではないでしょうか?

今、世間がやっているのは、そんな地道にゴールを目指している科学者に、
訳も分からず茶々を入れて邪魔をしているだけではないでしょうか?

その科学者が辿り着いたゴールの先に、助かる命がたくさんあるかもしれない。
その歩みを邪魔しているということは、我々は、助かるかもしれない命を
奪っているに等しいことをしているとは言えないでしょうか?

さらにたちが悪いことに、世間が訳も分からず茶々を入れているどさくさに紛れて、
何もかも分かっている人たちが、意図的に、茶では無い何かを入れている、
そんな気がしてなりません。

真実は私には分かりません。
でも、何かの胡散臭さを感じます。
そして、それに若者が巻き込まれています。
巻き込んでいるのが、また例のあの年代の人たちです。

同じテーマでブログを書いているつもりはないのですが、
どうしても、根っこが繋がっているような気がします。


あっ、ちなみに・・・
私は「国民的○○」というフレーズが、大っ嫌いです。


以上です[わーい(嬉しい顔)]


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制裁という名のイジメ [疑問なんだよね]

安楽落選、部内のいじめが影響との説明
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140825-00000038-nksports-base

日本高野連が「第10回BFA U18 野球選手権」(9月1~7日、バンコク)の
出場選手を発表したそうです。
で、今秋のドラフトの目玉である安楽智大投手が落選したそうです。

理由は、通っている高校の野球部で起きたイジメだそうです。
彼が、直接イジメたのではないのですが、キャプテンであったということもあり、
今回、メンバーから外されたそうです。

彼がどのような人か、この大会のメンバーに選ばれることがどんな意味があるのかも、
よく知りませんが、私は、このような連帯責任は、意味がないと思うし大嫌いです。

まじめに野球に打ち込んで来た者が、イジメなんかするバカちんのせいで、
なぜ、良く分からない仕打ちを受けなくてはならないのか、
私には正当な理由を見つけることができません。

連帯責任という意味では、甲子園への出場停止他、
部に対していろいろ課せられているのだからそれで十分だと思う。
それに加えて、彼個人に、罰を与えることに、何の整合性があるというのでしょう?

コレ、って「制裁」という名の、社会的イジメではないか、とまで思ってしまいます。

彼に実力があり、メンバーに選ばれる逸材ならば高野連はちゃんと選ぶべき。
選ばれた後、本人、もしくは高校が辞退するというのが、まっとうな流れではないでしょうか?

イジメはダメです。
でも、だからと言って、まじめに野球をして来た者に対し、過度な罰を与え続けるのは
あまりにもヒドイ仕打ちだと、私は思います。


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「明日ママ」は結構な問題だ!と私は思うのだけれど・・・ [疑問なんだよね]

この問題に対して、私がブログに書くのはこれで3回目です。

[次項有]「明日、ママがいない」から見る企業の対応
http://teckeys.blog.so-net.ne.jp/2014-01-23


[次項有]「明日ママがいない」放送継続賛成の方への疑問
http://teckeys.blog.so-net.ne.jp/2014-01-27-1


ツイッターでも、たくさん呟いていますので、気になって相当の暇があれば読んでいただけると幸いなのですが、なんかこの話題、気になってしょうがないんですよね。

いつも書いているように、私はこのドラマを見ていません。
このドラマに限らず、基本的にドラマを見るのが苦手なたちです。
なのでドラマの良し悪し、子役の頑張りなど、そう言ったことには今回も触れません。

私の気になっているのは、日本テレビの対応と世間の意見の方です。


「クレームで放送内容を変える」

などと言うことが起るのはあってはいけないことです。
でも、それは、このドラマにも当てはまることなのでしょうか?


以前の私のブログにも書きましたが、このドラマは主人公の設定を「不特定の親のいない子供」ではなく「赤ちゃんポストに預けられた子供」にしています。

つまり、施設と個人の設定が一般的な大まかなものではなく、限りなく特定された状態です。
その特定された施設から、事実と違うから放送を止めて欲しいとの要望がありました。
本来ならば、そんなクレームはマスコミとしては突っぱねなくてはなりません。
視聴者に伝えたい事柄に対して「事実と違うから」というクレームで内容を変えていたらマスコミとしての役割を果たせなくなってしまいます。

しかし、今回のドラマはどうなんでしょう?
例えば、日本テレビが慈恵病院などの施設の裏の黒い部分を暴きたい、という意味でドラマを作ったのであれば、突っぱねればいいと思います。
でも、どうもそういった趣のドラマでは無いように思われます。

むしろ、そんな環境でも強く生きている子供たちを描きたい、との思いが感じられます。

だとしたら、今回の場合は突っぱねていい案件ではありません。
逆に、話題の中心となる施設や関係者と協力してドラマを作って行くのが筋と言える内容です。

ですが、今回は制作の段階で協力関係は築いていないどころか、取材も怠ったようです。
本来、いらぬクレームにも対応できるように、取材をし確かな裏付けをとってから放送します。
それを怠った状況で、当事者から制作サイドが意図していないところでクレームが入ったのですから、分かった時点で、すぐに対応するのが普通です。

しかし、日本テレビはそれをせず、当初、ただのクレーマーのように突っぱねてしまいます。
その判断が間違いでは、と、私はブログで書きましたが、この判断ミスによりスポンサーがCMを流さないという前代未聞な状態にまでことが進んでしまっています。

そんな中、こんな記事が掲載されました。

[次項有]「明日ママ」謝罪しない! 日テレ社長「これ以上の対応考えていない」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140224-00000580-sanspo-ent
サンケイスポーツ 2月24日(月)18時42分配信

これ、社長の発言です。

まぁ、私には直接拘わりのない企業のことなので、本当はどうでもいいことなのですが、社長にこんなことを言わせてはダメだと思うのです。

この案件は、明らかに日本テレビのミスです。
番組制作にあたってのミスですし、クレーム対応のミスです。
それが分かっている人から見たら、この社長の発言は「恥の上塗り」にしか見えません。

この発言で分かることは、この社長には、自分たちの不備が分かっていても、番組を止める力がない。
と言うことです。
逆に、自分たちの不備が分かっていないとしたら、さらに厄介ですが、それはさすがにないでしょう。

コレは大きな問題だと思うのです。
この社長の資質とかではなく、公共の電波を扱っている放送機関がそのような状態だということです。
どういう状態かというと

「自分たちの判断、今回の場合は社長レベルの判断でさえ、放送している番組を自由に扱える状態では無い」

ということです。

今回の問題で、クレームに対して放送内容を変えない「表現の自由」が守られたという見方をして、日本テレビの対応に喝采をおくる人も大勢います。

私の意見は全く逆です。

今回の日本テレビの対応を認めてしまうと、今後、問題のある放送があったとき「放送を止めなくてもいい」という悪しき前例ができてしまう。

ということです。

テレビ局は以前よりは影響力が落ちているとはいえ、その力は今も絶大です。
その絶大な影響力で、事実と違うことを流し続けても問題がない、ということを「どんな場面においても認めてしまってはダメ」だと思うのです。

多くの国民は原発に対するマスコミの対応を批判していました。
事実と違うことを刷り込まされていた、と、怒っていました。

今回のことを認めてしまうと、それすら批判できなくなってしまいます。
そんなことを言う人は、ただのクレーマーだと言われてしまいます。

さらに、今の放送局は社長レベルですら、始めてしまった放送を止めることができません。
そんな状態で、何らかの意図をもった事実と違う情報を流し続けられてしまったら大変なことです。

この危機的状況に、なぜか有識者は殆ど意見を言いません。
秘密保護法にはあんなに反対する意見を出した人がいたのにです。
ま、内容のレベルが違うということなのでしょうが、果たして本当にそうなのか、私には甚だ疑問でなりません。


今夜もAC一社提供の状態でドラマが放送されるのでしょう。
このドラマにクレームを入れた団体はこのようなことを言っています。
かいつまんで書きますと、

「日本テレビは放送を続けるという方針を決めたそうなので、我々は、抗議をし続けてもしょうがありません。今後どのような放送があるか分かりません。フラッシュバックなどの症状は、出ないお子さんもいますが、フラッシュバックの回避のためのお願いを関係者に伝えていきます」

[次項有]メディアの危機・佐村河内代作問題と明日ママ改編問題の論点
http://youtu.be/hV2Kab4j69M

対象の会見は28分頃から

このような対応を国民に強いるマスメディアって、いったいなんなのでしょうか。


以上です[わーい(嬉しい顔)]
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「明日ママがいない」放送継続賛成の方への疑問 [疑問なんだよね]

私は、このドラマを見ていないので感想は書けません。

でも、この話題にはとっても興味を持っていて見ています。

で、以前から疑問に思っていたことがあるので書きます。


『明日ママ』一般視聴者の賛否両論の声は?放送継続賛成の人数が、反対を若干上回る - Y!ニュース
BUSINESS http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20140127-00010000-biz_bj-nb #yjnewsbiz
Business Journal 2014/1/27 18:06 加茂萩太/ライター


こちらの記事、放送の継続を求める意見の方が多いそうです。
私はドラマを見ていないので内容は分かりません。
でも、放送の継続を求めている人の意見に、とっても疑問があるのです。

なにせ、私、馬鹿なもので・・・。

放送継続を求める人の意見で紹介されているものを、都合よく抜粋しますと、


「表現の自由であるし、ノンフィクションをうたっているわけなので問題は感じない」(30代男性)

「久々に骨のあるドラマが始まったという感じ。『臭いものにはふた』というのでは世の中は決して良くならない」(60代女性)

「放送しないほうがタブーになってしまい、潜在的な差別を生む結果となる」(20代男性)


どれもこれもごもっともだと思うし、私も同じ意見です。

表現の自由は大切です。
こうやってブログにつらつら好きなことを書けるのも、表現の自由があるからです。
さらに、臭いものに蓋をしたり、それを扱わないことで、タブーにしてしまうことの恐ろしさも、十分理解してますし、その通りだと思います。


でも、今回の件に関しては、それが当てはまるか疑問に思います。

「観ていて辛い内容ですが、番組を観て、子供たちへの差別を助長するとは思えません。逆に、世の中に辛い思いをしている子供たちがいることを、改めて考えるいい機会になる」(50代女性)

という意見。

「子供たちへの差別を助長するとは思えません」

コレって、主観ですよね?
人がどう感じるかなんて、なかなか分からないと思います。
差別を助長するとは思えない、という根拠がとっても知りたい思いです。
50代のご自身も、見ていて辛いと思うほどの内容なのにです。


こうやって紹介しますと、放送の継続を求めている人の大半の意見が、ドラマそのものの内容になっていると感じます。

この問題に関して、ドラマの個人的感想はまったく意味が無い、と、私は個人的感想を持っています。

なぜなら、このドラマで被害を被るのは『子供たち』だからです。

私は子供の教育上や健全な育成上などと言って、子供に関するとなんでもかんでも過保護になる人が大っ嫌いですが、今回の事は別だと思うのです。

子供は大人が思っているほど、理解力がありません。
むしろ、大人と同じように、子供は理解できる、と思ってはいけません。

大人と子供の理解力で決定的な違いは

「経験からくる想像力の差」です。

子供には経験が無いから、理解力には限界があります。
逆に、大人はこの問題を、個人的感想に留めるのではなく、想像力を膨らませて考えるべきです。


子供が被害にあうと言うところで想像力を膨らませると「児童ポルノ」に行き当たります。
自分がやっていること、やらされていることを、正しく理解できないまま、子供たちは被害にあってしまいます。

今回のドラマを見て

「自分は楽しいと思う」
「先が気になるから見続けたい」
「これを見ても子供は傷つかないと思うよ」

と思っている人は、その意見をそのまま児童ポルノに当てはめてみてください。
同じことが言えますか?

或いは、

「主人公の女の子の演技がスゴイから、見続けたい」

と思っている方も。


問題をすり替えるな、と思った人もいると思いますが、実は問題をすり替えているのは、こういった意見でドラマの継続を求めている人の方だと私は思っています。


そもそも、このドラマの放送の中止を求めた病院の言い分はこうです。

『ドラマ内で「赤ちゃんポスト」に預けられた子に「ポスト」というあだ名が付けられており、慈恵病院は「預けられた子どもを傷つけ、精神的な虐待、人権侵害になる」と批判した。
 養護施設の描写にも「職員が子どもに暴言を吐き、泣くことを強要するなど現実と懸け離れたシーンが多すぎ、誤解や偏見、差別を与える」と指摘。近く口頭と文書で、放送中止を要請するとともに、ドラマ制作経緯の説明を求める。』

日テレのドラマ「明日、ママがいない」への抗議問題。施設の子どもに対する「想像力の欠如」と「加害性」(水島宏明)
http://blogos.com/outline/78180/ 水島宏明 2014年01月18日 10:12



赤ちゃんポストとは正式名称ではないそうですが、日本で置かれているのはこの施設だけです。

つまりこのドラマは、施設が特定され、個人も、ある程度ですが特定されるのです。

個人が特定されるという事は、その特定される人がこのドラマを見てどう受け取るか、どう感じるか、という事が重要になります。

これは「セクハラ」や「イジメ」と同じです。
受け取り方は人それぞれで、その人がセクハラだイジメだと受け取ったなら、その行為はそういうものになるのです。

その上、エンタテイメントとして表現され、さらに内容は現実と大幅に違うのですから、人権侵害になる可能性は大いにあります。

そしてこの判断は、法律的です。
個人の意見で、あいつは無実だ、といくら訴えても、法律上「違法」なら刑を与えられます。

国民的意見の総意で問題があるとなった場合は、法律を変えなければなりません。
それ以外、この問題に関してドラマの感想や個人的の意見を語るのは自由ですが、あまり意味はありません。


さらに、このドラマで被害にあう恐れがあるのは子供たちです。

想像力を働かせてください。


昨日まで普通に暮らしていたのに、このドラマがもとで、泣いている子供のところへ行って、あなた諭すようにこう言います。

「辛いだろうけど、表現の自由は大切だから、しょうがないよ」
「辛いだろうけど、タブーにしちゃいけないから、がまんしてね」

こんな意見を持っている人は、子供たちに、ちゃんと面と向かってこう言わなければなりません。
そういう意見なのですから、当然のことです。


それとも、泣いている子供にたいして、誰かがそう言ってくれるとでも思っているのですか?


厳しい現実に蓋をしてはいけない、と言うなら、アナタがその蓋を開けて中を見せてやってください。
そして、

「みんな先が気になってしょうがないほど楽しんでいるのに、泣いてんじゃねぇよ」

と、言える人はスゴイ人だな、と私は思います。


先ほども書きましたが、子供は大人が都合よく思っているほど理解力はありません

視聴率は10%以上ありますから、1千万人くらいの人が見ている計算です。
その中の、ほんの数パーセントの人、子供に限らず大人も含めて、理解力が無い人がいた場合、被害にあう人が出てきます。

その被害者は「子供」です。

「表現の自由」だとか「臭いものに蓋をするな」とか綺麗ごとを並べている大人たちは、その為に泣いている子供たちを、


ちゃんと諭すことができますか? 

ちゃんと説明することができますか?

その役割を果たす覚悟で、意見を述べているのですか?


そこが、私には疑問です。


自分の頭を使って、想像力を膨らませてみましょう。

多くの大人は、高校生活を経験しています。
だから、教師との恋愛は、ある程度想像力が膨らむでしょう。
貧乏を経験した人も大勢いるでしょう。
同情より金が欲しいと、思ったこともあったはずです。

でも、児童養護施設のこと、ましてや、親に捨てられた子供たちの事を知っている大人はあまりいません。

知らないもの、経験していないものを理解するのは難しいことです。
想像するのにも、一般的な想像力では限界があります。
ですから、意見を言うのなら、もっと一生懸命想像力を働かせた方がいい、と私は思っています。


最後に、出演している子供たちに、被害が及びませんように・・・、と囁かに願います。



ちなみに、私のこのドラマの扱いについては、

「明日、ママがいない」から見る企業の対応
http://teckeys.blog.so-net.ne.jp/2014-01-23

に書いてあります。
気になる方は、そちらをお読みください。
すこぶる駄文ですがね(^^


以上です[わーい(嬉しい顔)]
タグ:子供
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首長の選挙だよねぇ [疑問なんだよね]

今回の都知事選。

あたかも原発問題が争点になっているような流れだけど、それに乗せられてしまってはまずいのではないのでしょうか?

以前『郵政選挙』と呼ばれた2005年に行われた衆議院選挙もヒドイと思ったけど、
まぁ、国の問題で、まぁ、国会議員を決める選挙だったから、まぁ、理解するとして・・・、

でも、今回は違いますよね。

東京都の行政のトップを決める選挙ですよね。
選ばれるのはたった1人。


たった1人のリーダーを決めるのに、1つのテーマに絞って投票するのって、どうなのよ?


確かに重要です。
原発問題。

私は小泉氏の考えに賛同しますが、だからと言って、都知事選の争点にしてはいけないと思うんです。


東京都民の方は覚えていますか?

『都市博』

っていう、パソコンが変換もしてくれない単語。

正式名称は『世界都市博覧会』(さすが正式名称、こちらは一発変換されました)

東京都がお台場で開催しようとしていた博覧会。
1995年の都知事選は、まさにこの博覧会をやるかやらないかが争点になり、そして反対を掲げた候補者が当選し、都市博の開催は中止されたんでしたよね。

まぁ、都市博は東京都民の問題なので、まぁ、納得するとしても・・・、

その後、その都知事がどうなったのか。
人気ドラマの主人公の名字の由来に貢献したことしか、私は知りませんので、ご自分で調べてください。

今回は、任期満了で行われる選挙ではありません。
任期満了せずに、すでに2人の知事が辞任して、3人目を選ぼうとしています。

今年は2014年。
10年周期のような劇場型の選挙に踊らされず、
ちゃんとした知事を、じっくりと選んだ方が、私はいいと思いますが・・・。


以上です[わーい(嬉しい顔)]




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有料就職試験は話題作り [疑問なんだよね]

就職試験を受けるのに、お金を取るという会社が現れました。

私は、きっとこの会社は話題作りというか問題提起でこのようなことをしたのではないかと思っています。
なぜって、本気でこれがイイ、と思ってこうしたのなら「正気の沙汰」ではないと思うからです。

就職試験の有料化に好意的な意見を見ると「採用には時間とお金がかかる」というのが圧倒的に多いです。
とりあえず応募したという人が多すぎて、それらをいちいち相手にしなきゃならないのは、いい迷惑、おかげで採用コストがかさみ企業は困っています。
といった感じです。

一見、正論にも思えるこの意見ですが、あまのじゃくなうえにへそまがりな私には、この意見に対して、疑問がとっても湧いてきちゃうんです。
辻褄が合わないと言いますか・・・。

それは何か、知りたいですか(^^?

疑問は3つです。

1つめ、採用するのは企業が勝手にすることです。
別に新入社員が欲しくなければ採用しなければいいハズです。
なんにせよ、採用するのには、企業の都合が働いているハズです。
自分たちの都合で勝手に採用しますから応募してくだい、と言っておいて、あ、お金がかかるから、受けたければお金頂戴ねぇ、は、おかしな話です。

需要と供給だから、お金を払っても受けたい人が受ければいいです。
それを私は止める気はありません。
でもです。こうなると、お金を払いたくない人は、絶対に受けなくなるでしょう。
これが2つめの疑問。
お金を払ってでも受験したい、という人だけがこの会社を受験するようになります。
本気の人だけが受験して欲しい、そんなことをこの会社は言っていたと思います。
本気の人もそりゃいるでしょう。
でも、お金に余裕のある人は、結局、思い出受験にやってきます。
「金払って受験しちゃったよぉ」なんて、話のネタとしてはとてもおいしいです。
しかし、絶対に受験に来ない人たちがいます。
「お金払ってまで、受験するもんか」という人です。
この人たちの中に、実は将来、会社に莫大な利益を生む能力を持っている人がいるかもしれません。
その人を、入り口の段階で、みすみす逃がしてしまいます。

「そんなの採用してみなきゃ分からないじゃないか」
「金払った人の中にも天才がいるかもしれないじゃないか」
という意見が聞こえてきそうですが、これが私が疑問に思う3つめであり、最大の疑問点です。
これが意味することは、結局は、お金を取った、取らないに関係なく、採用してみなきゃ分からないってことです。
そう、いくら本気の人を集めて、真剣に採用試験や面接をやったところで、いい人材だけを採用することなんて不可能なんです。
どんなにコストをかけて採用試験をしてみたところで、3年も持たずに退職してしまう人がどれほどいるか。
あ、この会社がどうかは私は知りません。もしかすると毎年、ニコニコしちゃうような金の逸材ばかりを採用できているのかもしれませんので、いい加減なことは言えませんが、一般論としては不可能です。


さて、これら3つをまとめますとこうなります。

「時間やお金がかかって経営的に苦しいので、一部の考えを持った人には遠慮していただいた上で試験をします。でも、採用しても実際に働いてみなければ逸材かどうか判断できません」

であるのでしたら、
会社経営に負担のかからない採用試験をすればいいのではないでしょうか?

なにも無理して、時間とお金をかける必要ないです。
一次選考なんて抽選で20名とか、許容できる人数に簡単にしぼっちゃえばいいんです。
その中から会ってみて、なんだかニコニコしてて感じのいい人だなぁ、と思った人を採用すればいいんです。

だって、そうだと思いません?
負担がかかるくらいの時間とお金をかけて、一生懸命試験をして見極めて採用しても、最終的に戦力になるかどうか分からないんですから。
そんな不確実なものに、コストを毎年かけるなんて、普通の経営者ならやりません。
だからって、そのコストを受験者に負わせたら、特定の考えの人は絶対に受験してくれません。
多様な人材がいなくなると、行き詰まることを普通の経営者なら知っています。

と、ここまでを踏まえると、私はこの記事の最初に書いた結論に達しちゃうのです。
こんなことを本気にイイと思ってるということは、「経営センスが無い」あるいは「人の見極めができない」というのを自分で認めて広めちゃった、ってことですから、正気の沙汰とは思えません。

普通の経営者なら、コストをかけてでもいい人材を幅広く欲しがるものです。

きっと、戦略的な話題作りなんです。
加熱する就活への問題提起なんです。

・・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・・・ですよ、ね(^^;;


以上です[わーい(嬉しい顔)]
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恋愛は素晴らしいんだろ? [疑問なんだよね]

なぜ人の恋愛に対して、やいのやいのいう人がこんなに多いんだろう。
しかも芸能界に身を置く人の発言が、私にはよく分かりません。

離婚後、元不倫相手と付き合っているのって、そんなにいけないことなのでしょうか?
迷惑をかけた人が多いと、恋愛してはいけないのでしょうか?

恋愛、って素晴らしいものだ、尊いものだと、表現しているのは芸能界の人でしょ。
その人たちが、何はともあれ、恋愛している人を否定しているのは
理屈が合わないと思うんです。

そもそも、妻の浮気をネタにして、旦那は売れっ子になったんだから、
迷惑をかけているばかりじゃないはずです。
元旦那が売れるチャンスを与えたうえで、今はフリーの立場で恋愛してる人に対して
恋愛を尊ぶ芸能界に身を置く人たちが疑問を呈しているのが、私にとっては疑問です。

一方では、妻の浮気現場をネタにして売り出せるのに、一方では恋愛してるだけで叩かれる。
それでいて、恋愛は素晴らしいと表現している人たちって、なんなんでしょう?

結局は、商売の道具として、恋愛をうまく利用している、ってことなんですかね。

そんなに素晴らしいものなら、恋愛している人を応援すればいいと思う。
妻が不倫して出世ができるのなら、提供した人に、もっと敬意を払えばいいと思う。

それができないんなら、恋愛をネタにして商売するのは、やめてしまえばいいと思う。

一般人が、一般常識として、否定的な意見を言うのはいいと思います。
でも、恋愛を尊び恋愛で商売をしている芸能界に身を置く人は、
自分の立場をわきまえてから発言しないと、説得力がまるでないと私は感じてしまいます。


因みに、私は恋愛にあまり興味がありません。
でも、ラブストーリーは嫌いじゃありません。
だから、こんな疑問が浮かぶのかもしれません。

チャンチャン。


以上です[わーい(嬉しい顔)]
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練習試合で解任論は違うと思うよ [疑問なんだよね]

私はスポーツが好きです。
特に、野球とF1は、かなり詳しい方だと思っています。
ついでフィギュアスケートが大好きです。
とは言っても、これらの競技を実際にやったことは殆どありません。
運動がキライでして・・・。

そんな中、数少ない経験のあるスポーツと言えば、サッカーです。
中学生のころですが、部活でやっていたことがあります。
それなのに、今挙げた中では一番詳しくない競技でもあります。
なので、難しい戦術や、ややこしい都合などは分かりません。
でも、いろいろな競技のいろいろな場面を長年見てきました。
その経験から、スポーツとして見た、サッカー日本代表の話はできます。

そんな前置きを踏まえ、詳しくも無いのに無謀な挑戦として、私が書きたいことは、
今月に行なわれたサッカー日本代表のヨーロッパ遠征のことです。
セルビアとベラルーシという完全なアウェーの試合が行なわれ、惨敗に終わったか事で、
ザッケローニ監督の解任論まで持ち出すサッカー解説者がいますが、
私は、なんでそんなことを言っちゃうのかがとても疑問なんです。


[次項有]本田「勝てなかったことが収穫」W杯へ今は産みの苦しみ-サンケイスポーツ


この記事で、2人の選手が言っていることが全てだと思います。

この2試合は親善試合、言い換えれば練習試合です。
練習試合とは、その名の通り、練習のための試合です。
練習のための試合で求められるのは、結果よりもプロセスの方がです。

精一杯プレイして、それでどうだったか。
試したいことを行なってみて、それがどうだったか。
或いは、いつもと同じことやってみて、それでどうなったか。
など、これらのことから、自分やチームの問題はなにか、或いは、
評価できるところはどこか、それぞれを見つけ出し、新たに課題を設定して、
次の試合に繋げるという「プロセス」が重要です。

これらのプロセスを踏まえて、次に繋げるようなことが出来ないようであれば、
解任論が出ても当然だと思います。
でも、今回はプロセス経て課題を見出したに過ぎません。
今後はその課題を克服して結果に繋げて行く段階です。
それなのに解任してしまっては、わざわざヨーロッパまで行って、わざわざ2試合戦って
せっかく見出したものを、わざわざ棄てるような愚かな行為です。

先の記事で書かれている2人の選手のコメントで、今回は新しいことを試したことが伺えます。
今までと同じことをしていれば勝てたかもしれません、というコメントをしていた選手もいました。
日本代表の選手たちの共通認識はきっと、

『今までと同じことをやっていたら、ワールドカップの舞台では勝てない』

なのではないでしょうか。
自分たちは変わらなければならない、と意識して試合に挑んでいると思われます。
ですから、普通は結果が求められない練習試合で、いろいろ試してみて、
課題を見出そうとしているのではないでしょうか?

話しはサッカーから離れますが、ゴルフのタイガーウッズ選手は、
絶好調だった時から、フォームを徹底的に改造して、何年も低迷したのち、
今後10年続けられるフォームを完成させた、と言って復活を遂げました。
フィギュアスケートの浅田真央選手は、オリンピックで銀メダルを取り、
世界選手権で優勝した年に、自分の限界を感じ、スケートを基礎から見直すことを始めました。
そして、彼女のスケート人生のどん底ともいえるシーズンを過ごし続け、
やっと昨シーズン、彼女の代名詞でもあるトリプルアクセルを復活させました。
そして、いよいよ目指してきた、オリンピックシーズンが明日、開幕します。

今まで出来上がったものを変えるのはすごく大変なことです。
しかも、それがレベルの高いものだったのなら、なおさらなことです。
時間もかかりますし、変化の過渡期には信じられないような低迷が必ずあります。
今まで、やって来たことをやれば、うまくいくかもしれません。
でも、それでは今までと変わりありません。
目指しているのは、別の次元の自分です。
その為には、一度、落ちるところまで落ちていき、そこから、今まで辿った道ではなく、
違った道を選んで、這い上がっていけた時に、まったく別次元の自分に辿り着けるのです。
そのことを、ウッズ選手と浅田選手は証明しています。

日本代表は、まさに今それをやっているのだと私には思えてなりません。
ワールドカップ本番まで、時間が無いにも拘わらず、
今までとは別次元の変革を成し遂げようとしているように見えるのです。
そんな状況で、結果が出なかったからと言って、早合点していてはダメです。

今回は、監督も含め、選手それぞれが課題を得ていることが伺えます。
それで、この2試合は成功なのです。
そうやって、時間をかけて、違った道のりで徐々にレベルを上げていき、
別次元を目指し本番につなげればいいのだと、私は思います。

選抜チームだから、調子のいい選手を選抜してチームを作ればいい、だなんて、
それほど"個"が優れていないことは、サッカー関係者のほうが分かっているはずです。
日本代表は、チームとしての力を武器にして戦わなくては世界で通用しないということは、
サッカーにさほど詳しくない私にでも分かります。
ここまで来たら、我慢して、彼らを信じて、見守るしかないのです。
それが一番の勝利への近道なんだと、私は思います。

以上です[わーい(嬉しい顔)]
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